Value  /  Price

物の値段を決める話が、
いつしか「物差し」の話になった

ビッグマック1個を、ビットコインでいくらにすればいいんだろう。
その素朴な問いは、思いがけず遠くまで連れていってくれた。

ビッグマック 1個
値段が下がり、
低いまま固定する
=
何サトシ?
→  ◇  ←
ビットコイン
上限は2,100万枚で
確定している

最初はただの値付けの問いだった。BTC建ての値札を貼るとして、その数字は誰がどう決めるのか。考えはじめたとき、自分の中には素朴な仮説があった——たぶん「普及の段階」によるんだろう、と。だが調べ直してみると、その仮説は半分当たっていて、半分は外していた。そして外していた半分のほうが、ずっと面白かった。

現実は、ぜんぶ「真ん中の段階」で止まっている

BTCでビッグマックが買える店は、ほぼ例外なく基軸通貨との連動で動いている。客が円をBTCに換えて店に送り、店はそれを受け取った瞬間にまた円へ戻す。BTCは決済のレールとして通り抜けるだけで、値段の意味は最初から最後まで円の側にある。BTCの値札に見えても、裏では円やドルのレートを秒単位で参照して数字を書き換えているだけだ。

「上の段階」へのスロープは、存在しなかった

普及が進めばBTC自体が物差しになる——そう連続的に登っていくと思い込んでいた。だが現実には、その坂道がない。あいだに断絶がある。理由は価格変動の激しさだ。

ビッグマックを「4,000サトシ」と固定値で出すには、店が原価も家賃も時給も、ぜんぶBTC建てで考えていなければならない。仕入れが円建てである限り、BTCの値札は相場が動くたび書き換える羽目になる。それなら最初から円で値付けして、支払いのときだけ換算するほうが合理的だ。上の段階は一軒の店では届かない。経済圏まるごとがBTC建てになる「相転移」が要る。

仮説には「逆走」の発想が抜けていた

自分は前進しか想定していなかった。だが後退の実例がある。2021年に世界ではじめてBTCを法定通貨にしたエルサルバドルは、2025年の頭、IMFの融資条件と引き換えにその地位を撤廃した。需要がついてこなかった。制度で上から押し上げても、人々の側に使う理由がなければ滑り落ちる。「普及の度合い」一本では足りず、「制度の強制か/自発的な需要か」という直角の軸が要る。

問いが、裏返る。
「もしBTCが、決める側だったら?」

価値の重心は、もう「物」の側にない

物の値段は下がって、低いところで固定していく。一方で、ふくらみ続けるものがある。気持ち、体験、注意、データ——目に見えない価値だ。ここで厄介なことが起きる。ふくらみ続けるものを、同じくふくらむお金で測ると、物差しのほうも一緒に伸びて何も測れなくなる。ゴムでできた定規で身長を測るようなものだ。円もドルも刷れば増える。だから、ふくらむ価値を打ち消す「動かない基準点」にはなれない。

BTCが物差しに「なるであろう」理由

大事なのは「やらせるべきだ」という話ではないこと。誰が望むかと関係なく、価値の構造のほうが勝手にそちらへ滑っていく。流れは四つある。

01
分母が消える。市場は誰に言われるでもなく、ふくらまない分母を探しはじめる。
02
価値が「記録」に宿る。目に見えない価値は「誰が・いつ・最初にやったか」でしか決まらない。コピーできないのは"最初の記録"だけ。それを改竄できず刻める仕組みが物差しになる。
03
動かない目印が要る。揺れる海で船乗りが不動の目印を探すように。ふくらむ系には必ず不動点が要請される。
04
選ばれるのは「希少」ではなく「確定」。レアアースは希少でも、新鉱床や技術で上限が崩れうる——未確定だ。BTCの2100万枚は発見されるものでなく、定義そのもの。上限が高いことと、上限が確定していることは、種類が違う。
BTCが価値の物差しになるであろうのは、優れた通貨だからでも、誰かが設計するからでもない。価値の重心が「ふくらみ・記録に宿り・コピーできる」側へ移ったとき、その世界は構造的に、ふくらまない分母を、記録を刻める基盤を、動かない不動点を要請する。BTCはこの条件をたまたま満たしているから、選ばれるのではなく、空いた席に吸い込まれていく。

ビッグマックの値段を決める世界では、BTCの「絶対に増えない」性質は、ただの過剰な機能だった。だから真ん中の段階で足踏みしていた。だが価値の重心が目に見えない側へ移った瞬間、その過剰な機能が、ちょうど必要な機能に変わる。

最後に、ひとつだけ

測れることと、測るべきことは違う。気持ちや体験を有限の分母で測れるようにすること自体が、本来は値札を貼るべきでないものに値札を貼る行為になりうる。船の上で過ごす時間や、海でしか生まれないつながりのような——値段をつけた瞬間に壊れてしまう価値も、たしかにある。「測れる」は成り立っても、「だから測るべき」かは別の問いとして残る。たぶんこの緊張こそが、これから考えていきたい、いちばん面白い場所なのだと思う。